生まれ育った東京から、2014年夏、32歳のときに単身で高知県に移住してきました。高知市〈沢田マンション〉での1年ほどの暮らしを経て、現在は四万十川流域の四万十町十和(とおわ)地区に住んでいます。移住で感じたこと考えたこと、四万十暮らしの様子など。
2016年3月26日土曜日
「かわいいと思われないと死ぬ」病が寛解しました
日本はkawaii/カワイイ大国ですが。
…すみません、お久しぶりですが移住と全然関係ないこと書いてもいいですか?
*移住についてはコチラに詳しく書きましたので読んでね。
(1)おひとりさま、生まれ育った街から新たな居場所へ -えぇ、東京で消耗していました
(2)おひとりさま、背水の陣で新たな居場所へ(2)-高知で恋に落ちました
(3)おひとりさま、高知で居場所探しに奔走(3)-「沢マン」で始めた2段階移住
(4)おひとりさま、日本最後の清流
の地・四万十へ(最終回)-ついでにおひとりさまも卒業?
私、長い間、人から「かわいいと思われないと死ぬ」って思ってたんですよね。無意識に。
*チッチ「かわいいとは・・?」
「かわいい」と一言で言ってもそれにはいろんなニュアンスがありますが、
読んで字のごとく「愛す可き(愛すべき)」=「可愛い」、
つまり「愛されたい」というか「守られたい」が強くて、
そのためにはかわいらしい、ちょっと弱い目の自分でいなければダメだと思っていたのでした。
リラックマ(かわいい)のお面被ってる素顔は般若(必死)ですよ。
で、そのことを意識したのは20代後半だったでしょうか。
親しい人に「よく人の下に入ろうとするよね」みたいなことを言われたのがきっかけでした。
その時の印象は「よく分からない…けどモヤモヤする」というもの。
「よく分からない」のは無意識だから。
そして「モヤモヤする」のは図星だからだよっ!!(今の私よりあの時の自分へ)
(ちなみにその指摘をしてくれた人は悪意ゼロ/100%愛の意図で言ってくれたのが伝わってきたので
イヤな気持ちは全く感じませんでした)
またしばらく経ってからも、年上の友人から「かわいくあろうとしなくていいのに」的なことを言われて。
この時はもう少し「かわいくあろうとしている」自分を感じられたし、それは止めたいな、と思ったものの
「かわいくあろうとする」自分が発動してしまう時は無意識なので
やはり「かゆいような気がするけど手が届かない~」という感じで。
いくら人から言われても、そしてそれが的を得ていると思っても、
本当の意味で自覚しないと人って変われないんですよね。
で、話は最近に飛びます。*ここからやっと話が移住に関係するよ!!笑
高知に引越して、変化したことは多々あるのですが、
最近、私「かわいい度」大幅に下がりました!! ヤッター!
正確に言えば「かわいいと思われたい度」ですね。
この間、都会から高知に移住したいという女性にお会いしたんですよ。
で、その人がなんというかすごく慎重で。
「移住まで1年スパンで計画を立てている」
「でも会社の状況が変わったので1年では辞められないかも」
「会社の様子を見て…」「仕事を創れるようになってから…」「貯金が○○円になってから…」
終始、そういう姿勢。
それに対して、
かつての「かわいいと思われないと死ぬ」設定の私だったら、
「わー慎重ですね!(それは素晴しいことです、というニュアンスで)」
「うんうん、会社辞めるのって大変ですよね!」
「迷惑かける訳にいきませんものね」ってな返答をしていたと思います。
でも、実際の私がした返答は。
「わー慎重ですね!(明日死ぬかもしれんのに…というニュアンスで)」
「様子見てたら会社なんて一生辞められないよ」
「貯金!? 高知に来るのに貯金なんていらないよ(私は実際貯金ゼロ円でやって来ました)
で、その後もその人は小一時間ずーっと話し続けてたので
私は飽きてそのお店にあった絵本読んでました。(他にも同席者はいたよ、念のため笑)
・・・なんていうか失礼極まりない。笑
「かわいい」とか「愛される」「好かれる」至上主義時代の私が見たら卒倒するであろう。
でもね、言い訳じゃないけど、高知の女性って強くて格好いい人が多いんです。
「はちきん」とはよく言ったもので。
*「はちきん」とは?
大好きなはちきんズに囲まれて過す日々で、
いつの間にか私の「かわいいと思われないと死ぬ」病はかなり寛解していたのです。
だって本当はそこまで守ってもらわなくても、大丈夫だもんね。もうイイ大人だし。
堂々と自分の本音を言える方が気持ちがいいよ。
強いて言えば、(かつての)同じ病の人とはもしかしてコミュニケーションに齟齬が出るかもしれないけど、致し方なし。
(そして日本には同じ病の人がゴマンといると思うけど)
これを読んで「怖い」と思う人もいるかも知れない。
かつての自分だったら間違いなくそう思う。
でもね、はちきんズは「かわいい病(略称)」の人よりその実、優しい気がする。
いやいや、「かわいい病」の人たちはすごーく優しいですよ。
それはなんていうか、シュガーコーティングみたいな優しさ。
「素の自分には価値がない」とか「いい人でいないと嫌われる」という怖れや心配、不安などを
色とりどりの過剰な甘さのお砂糖(優しさ)でくるんでいるのだと思う。というか、私はそうだった。
でも、「かわいいと思われたい」を脱して素のままで生きてる女性(likeはちきんズ)は、
もっとしなやかさとか強さに裏打ちされた、優しさを持っていて。
そちらの方が私の心身には沁み渡るし、滋養があるなーって思うのです。
かわいらしさを脱することで、優しさと、ひいては女性らしさは深まるんだなぁ。
そして人間的な、自然なかわいさが醸成されていくのかも。
***
「かわいいと思われたい」病から多少、自由になっても
「頭いいと思われたい」「優しいと思われたい」と次々病はエンドレスだと思いますが。
それでも、「裸の自分に出会ってみたい」「心をもっと自由にしたい」は人生の大事な指針のひとつなのでした。
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