四万十の田舎で彼氏と暮らし始めたのですが。
普段はなかよしの彼と、時おり会話が噛み合わないことがあって、
そのことで私はずっとイライラを抱えていました。
じゃ、なんで一緒にいるのだろう?って何度自問したことか。
で、最近、心屋仁之助さんがブログでされている「前者」「後者」論。
これを読むにつけ、現在の彼と私の関係は、まさに「前者」と「後者」なのだと思い当たりました。
社会は「前者社会」だから「後者が生きにくい」わけです。後者は「前者ではない人」というカテゴリーに入れられてしまい、「症状」「病名」「ダメな人」というレッテルを張られがち。学校の教育も「前者にするためのモノ」であったりするわけです。★これが前者だ|心屋仁之助オフィシャルブログより引用
従来の学校教育で量産されてきた、そつなくいろいろできる人が「前者」。
そこからはみ出す人が「後者」ということかと思います。たぶん。
詳しくはコチラの記事:
■【最重要記事】ひさしぶりに「前者・後者」の話。やっぱり、この話は世界を救うから|心屋仁之助オフィシャルブログ
どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、
単に違うというそれだけ。
その差異の説明として「前者」「後者」が使われています。
→■【永久保存版・全体概要】前者・後者は世界を救う?! 前者後者ってなんだ? | 心屋仁之助オフィシャルブログ
で、私が「前者」=「社会的に正しい」という視点に立ちがちなので、
どうにか彼を正そう、正そうとしていて。
(こうなっちゃうと、彼のいいところが見えなくなってしまうのがツライ・・)
「コミュニケーションっていうのはなぁ!」みたいな。
*チッチ「こうするんだ!」 アオ「やめてー」
私がいちばんイヤだったのは、
彼が話の途中でふらっとどこかへ行ってしまうこと。(猫なの?)
話の途中(と私は思っている)で、いきなりお風呂行っちゃったりするの。
ありえない!! と私は傷ついたし怒っていました。
でも、彼にそのことをぶつけても「あれ、途中だったんだ・・」みたいな調子で、悪意0%。
怒りのぶつけようもないというか。
で、昨日またそういう堂々巡りになって、
私が
「あのさ、話はちゃんと聞こうよ。分らなかったり知らないことは『うん、うん』って聞き流さないで
ちゃんと質問しようよ」
とか切々と訴えていたんですよね。
ムダだと分かってても言わずにはおれなくて(この未熟者ッ)。
でも、いつもながら彼には響かなくて
「うーん。僕にはそれはできないなぁ」
みたいな。
なんか、まったく違う軸で生きてるし、会話というものの意味合いも違うというか、
そもそも言葉を重視していないというか・・。
で、堂々巡りに疲れた私はそこで、決めました。(「諦めました」のが正しいかも笑)
「私もあなたの話聞くの止める!」
え?
文字にすると「え?」て感じだけど。
これからは、彼を見習って、
聞きたい時だけ聞いて、聞きたくない時は聞かないし、
途中でふらっとどこかに行ってもいい。
そういうことにしたのです。
「人の話はきちんと聞きましょう」ってたぶん幼稚園とかから教えられてきたよね。
で、私はそれを忠実に守ってきました。
その分、誰かが私の話をきちんと聞かなかったら、怒ってた。
だって「人の話はきちんと聞く」のが正しいから、
それを守らない人は怒られたり、罰されて当然。
そういう図式がいつの間にか自分のなかに強固に形作られていて。
でも、当たり前だけど、
別に聞きたくないなら、聞く必要はまったくなくて。
途中で席を立ったり、どこかへ行くのだって自由。
(自分だって途中で絵本読んだりしてるやん←前回の記事)
その自由を自分に許可したら、すごーくラクになって。
彼にも怒りが湧かなくなったというお話。オー、イエー。
人の話はちゃんと聞きましょう、の前に。
聞きたいか、聞きたくないか、自分の気持ちを、ちゃんと大切にしましょう。ってことだよね。
要らない風潮、常識ってほんとうにいっぱいある。
いくら疑っても疑い過ぎはないというくらい。
そのルールや常識は自分を、自分の大切な人を心地よくするのか?
何かうまくいかないというサインが出ていたら、
自分のなかをいつでも疑う姿勢でいよー、て改めて。
*なかよくしよー。
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