2016年8月7日日曜日

人の話に興味があるフリを止めたら身軽になったお話



地域の集まりとか、年上の人が多いコミュニティに入ると、
私は自動的に

「いい子であろうとする」

および

「相手の話に興味があるフリをする」

というタチの悪いシールドが発動する笑。

そのことに
先日、集まりに向かうクルマのなかでふと、思い当たり、
「今日はそれをしないでいよう」と思ったのです。

・・・

そしたら、めちゃラクだったぁーーー。
今までどんだけ興味がある「フリ」してたんだーーー!!!笑
身軽すぎる。

あとなんか、人の話が“分かる”人でいたいんです笑。
絶妙な返しとかして、「この人、深く分かってくれてる」て思われたいんです!!!笑
(私自身がそういう人がスキなんですね)

どんどんそういうフリを止めていって、
もはやフリができなくなってきています。
(仕事に差し障りがあるんじゃなかろうか、とドキドキする)

目上の人とのLINEとかでも
今まですごーく気を遣って、
やたらに絵文字を使ってたことに気付いて笑、
(これもまた、いい子に見られたい&興味があるフリの一環ですな)
止めました。

そしたら、画面がすごーくプレーンになっててウケました笑

使いたい時だけ、使おう、絵文字。
興味がある時だけ、興味がある態度を取ろう。
文字にすると当たり前~。

田舎暮らしには不便な気がするけど、
でもこれまでの田舎の不文律に完全に同調するのも
不可能だし、そもそも意味がないハナシ。



***
で、もうひとつ。
抽象的なハナシになりますが。
心のこと、意識のことを考えるのが大好きな割に、
まだまだ、

「○○じゃないとしあわせになってはいけない」

と感じていたことに気付きました。


もっと言えば、

「○○を持ってもいないのに、
 しあわせだと感じている、と言ったら、
 底の浅さを露呈するようなものだ!」

かな。
めちゃ他人軸ゥ~!笑

○○に入るのは、
月収がいくら、とか、仕事がこう、パートナーがこう、などの
ステータス。

「こうなりたい」て理想を持つのは健全だけど、
「それが叶わなかったらしあわせと思っちゃいけない」ていうのは
あまりにも狭量だし、なんていうか、不感症?笑




***
各方面の人が「今年の秋から大変化」、と言っている。
私の踏んでいるプロセスも、そこに向けて?
さらに大切にすべきことに集中するための
断捨離というか、禊というか、なのかもしれぬ。

とはいえ、この記事は先月くらいに下書きしてたやつで
もはやフレッシュな気持ちは忘れているのだけど笑
(いろいろと、変化のスピードが増すばかりで我がことながら本当についていけません)
アップしてみよう~えいや~。いつも以上に個人的!

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